「まあ、いいか…」

一日これといったこともせずに過ごした。
昼食後に近所のスーパーの88円均一セールを目当てに買い物に行き、一旦帰宅してから、しばらくサンキに行ってないなあと思い、気晴らしに歩いて行った。
昨日からカレーを食べ続け、今朝はちょっと食べ過ぎたのもあり、少し運動しないとまずいと思ったのもある。
留め具のないブラと、100円の端切れ、89円のアクリル毛糸を買った。毛糸売り場では70歳くらいのおばさんに、手編みらしい帽子をかぶっているのでちょっと話しかけると、嬉しげにどんなふうに編んであるか説明してくれ、教室に習いに行っていることなど、いろいろ話してくれる。
帰り道では、近所だけど別の町内会のほうなので、顔も知らないおばあさんに、散歩している犬がきっかけで話しかけられる。
84歳で一人暮らしなのだそうだ。一人娘は居宅介護の(おばあさんの説明だと)“おおきい会社”を経営しているのだそうだ。昔は、練馬区の中学で音楽の先生をしたいたという。ショパンが大好きだったのだが、もう指が動かないので、ピアノは調律もしないでほったらかしだとか。
まあ、娘さんの仕事柄、午前と午後に人が来てくれるそうなので大丈夫そうだ。私の母より一つしか下じゃないのに、ちゃんと歩けて話もできるのだからいいほうだと思うが、同じ話を何度もしていたので、多少ボケてるのかもしれない。
今度遊びに来てと言われたけど、実際に数日後に訪ねたとしても、「あなた誰?」だろうな。まあ、確実に行かないけど。


父が永眠してから12日経つ。
毎日、お葬式の日に飾った遺影の小さい版の写真立てに挨拶しているが、大きな喪失感は新たには生じないようだ。
父とのまともな会話は、特養でいつだったか交わしたのが最後だったから、あの後、病院では3か月以上あったわけだけど、精神的にはもう遠く隔たってしまっていたのだ。あの入院時は、緩慢な別れの時間だったと言えるかもしれない。
だから、実際に心臓が止まったのは12月2日でも、8月からずっと、緩やかに別れの日々を過ごしていたので、新たに急激な悲しみはやってこないのだ。
そういえば、夫の母が亡くなった時も、夫と夫の姉もそんな感じだったっけ。


今朝、雨戸を開けていて気づいたのだが、昨日、次兄は、私が仕事に行っているあいだに庭木を切りに来てくれたらしい。
ムクゲがきれいにこんもりと大きく育っていたのに、ズバズバ遠慮会釈なく刈り込まれていた。ほっそりとした全く違った姿にされていた。
温州ミカンの傍の水無月もバッサリ切られて枝がほとんどなくなっていた。斑入りのウツギもだ。
昔の私だったら怒り狂ったかもしれないが、見た時、一瞬は驚いたけど「まあ、いいか」と事態を冷静に受け入れてしまった。
しかし、断りもなしに、どうしてあんな無神経なことをするかなあ。
兄妹でも好みは違うとは考えないのだろうか。
まあ、いいけどね。
はあ〜。